おとなの読書感想文

恋愛小説から自己啓発まで。26歳OLの読書感想文。

叙述トリックの二重構造- 『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午

おなじフィットネスクラブに通う久高愛子から、「おじいさん」の死の真相を突き止めるよう依頼された、「なんでもやってやろう屋」成瀬将虎。

久高愛子の話では、高齢者をターゲットにした霊感商法業者「蓬莱倶楽部」が、その死に関与している可能性があるといいます。

 

後輩のキヨシとともに調査を進めていくと、蓬󠄀莱倶楽部の悪徳商法の実態が次第にみえてきました。

彼らは高齢者の弱みにつけこみ、言葉巧みに高額な商品を売りつけていたのです。

 

古屋節子も、蓬󠄀莱倶楽部の底なし沼にはまった高齢者の1人でした。

貯金が底をつくと、息子たちに迷惑をかけまいという思いから借金を繰り返し、ひいては闇金に手を出すようになっていました。

違法な利率で金を借り、返済の見込みが立たないほど膨れ上がった借金のカタとして、彼女は蓬󠄀莱倶楽部の手先に身を落としていってしまいます。

 

蓬󠄀莱倶楽部の調査と前後して、将虎はある女性と運命的な出会いをしていました。

麻宮さくら。駅のホームで自殺を試みたところ、間一髪で将虎に命を救われた女性です。

将虎はこの麻宮さくらに他の女性にはないものを感じ、次第に惹かれていくことになります。

 

蓬󠄀莱倶楽部と、「おじいさん」の死の因果関係。

余生を翻弄された古屋節子の、なれの果て。

成瀬将虎と麻宮さくらの、秘密の関係。

 

小説を読み進めると浮かび上がってくる、複雑に絡み合ったいくつもの伏線は、終盤で一気にその全貌を現します。それは読み手の想像を超えた、驚きの結末でした。

 

 

でも、この小説の醍醐味は、それだけではありませんでした。

叙述トリックの二重構造、とでも呼ぶべきでしょうか。

 

物語を読むとき、私たちはそこに広がる世界を受け入れ、引き込まれていきますが、

読み手はその過程で、その世界をかたちづくる、外界との境界線のようなものを形成していると考えています。

それはたとえば絵画にとっての額縁のようなもので、現実世界との境界線が、唐突にキャンパスに描かれた人物や風景の描写を一個の作品たらしめるように、

物語においては現実世界との間に隔たる境界線を飛び込えていくことで、たとえばハリーポッターのような魔法の世界であっても、その世界を受容し、引き込まれていくことができると思うのです。

 

この小説『葉桜の季節に君を想うということ』は、決してファンタジー要素があるというわけではありませんが、

それでも読み手は登場人物のことばづかいや、行動、時代を連想させる描写などからこの物語が繰り広げられる世界を認識し、自分なりにその世界の枠組みを形成しながら読み進めていくことになります。

 

 

もうすでに、作者のトリックに引っかかっているとは知らずに。

 

 

ジェットコースターは、落ちるとわかっていても恐怖や興奮を味わえるものですが、

この小説も、読み手は騙されるとわかっていても必ず仰天してしまうはずです。

乗り物に乗った者だけが体験することのできる、トリックの二重構造。

それは、この小説を手に取り最初のページをめくった瞬間から、はじまっているのです。

「仕事ができる人」の思考プロセス-『イシューからはじめよ』安宅和人

仕事ができる人と、そうでない人の違いは、なんでしょうか。

 

職場というコミュニティにおいて、「仕事ができる人」と、「そうでない人」のあいだに漠然と引かれてしまうライン。

見えないラインはまるで靴底にへばりつくガムのように、いつまでもくっついたまま、日に日に組織全体の足取りを重くしてしまうものだと感じます。

 

本書は、いわゆる「仕事ができる」→「生産性の高い仕事ができる」→「少ない労力・短い時間で価値のある成果を出すことができる」と具体化し、そこにいたるまでの近道を提示する1冊となっています。

 

「仕事ができる人」になるための近道。

 

それは、「どんな成果、どんな答えを出すことがいま組織にとって必要か」ということについて、はじめによく検討すること。

著者は、この組織にとって必要な答え、およびその答えにいたる課題を「イシュー」と呼び、イシューの見極めこそが重要であると主張します。

 

どんなに残業をして膨大な資料を作成したとしても、そもそもその内容が組織にとってあまり価値のあるものでなければ、「仕事ができる」とは評価されません。

本来ビジネスパーソンとは、労働時間ではなくアウトプットベースで評価されるべき存在であり、より本質的なイシューに取り組むことこそが「価値ある成果」を出すために重要だということです。

 

これは一見当然のことのように聞こえますが、日々多方面からの課題に直面するビジネスの現場において、「いまこの局面で、この問題に答えを出す必要性がどれくらいあるだろうか」と一歩ひいて考えることは、思いのほか難しいのではないかと思います。

私たちの仕事は往々にして、「この商品の収益向上のためにはどうすればいいだろうか」「新しい会計基準について調べる」など、作業を進めていくうちにトンネルの向こうにある答えに辿りつくものであり、

いまから取り組もうとしている仕事そのものが価値あるものかを検討することは、いわばまだ見ぬトンネルの出口に先回りするようなものだからです。

 

そこで、目の前の課題のイシュー度を高めるために重要なことの一つとして、「仮説を立てる」ことが挙げられています。

「○○の市場規模はどうなっているのか?」というのは単なる「設問」に過ぎない。

ここで、「○○の市場規模は縮小に入りつつあるのではないか?」と仮説を取ることで、答えを出し得るイシューになる。

イシューは仮説を立てることで具体化され、より鋭く組織の現状にささりこみ、

自らが課題に対して何らかのスタンスを取ることで、そこから導き出される解の質が上がっていく、というわけです。

そのため、たとえ分析や調査の結果がその仮説に反するものであったとしても、意義のあるイシュー設定ができていれば、導かれる解はおのずと価値のあるものになっているはずであり、

一方で仮説がないまま課題に当たろうとするならば、それはやはり闇雲に出口のみえないトンネルを突き進む行為になってしまうのです。

 

 

企業とは、巨大なジャングルのようだと感じることがあります。

さまざまなバックグラウンドを持つ者が集まり、その人柄や考え方も多様です。

先人たちの足跡がいつのまにかルールや価値観を形成し、新しい命は生きるすべとしてそれらを受け継いでいきます。

 

もしかすると、いま置かれている職場環境において「イシューからはじめる」ことは、簡単ではないかもしれません。

上司に指示された仕事について、「これはいますぐ検討することが本当に必要でしょうか」と聞くことは容易ではないし、

あまり本質的に思えないようなことでも、現実問題として処理しなければならないタスクというのはこの巨大ジャングルの中に絶えず存在しているからです。

 

しかしながら、そういった状況においても本書の内容はやはり有益だと思うのです。

本書では、「イシューからはじめよ」という上記の考え方を土台に、「良いイシュー」の検証、仮説の立て方、分析の仕方、プレゼンの組み立て方など、一つの案件をより高いレベルで完成させるための近道を具体的に提示しているのですが、

どんな課題やタスクにもそれらを意識してあたることで、「仕事ができる人」の思考プロセスを習慣づける訓練になると考えています。

 

職場というコミュニティにおいて、「仕事ができる人」と、「そうでない人」のあいだに漠然と引かれてしまうライン。

 

本書を読み進めていくと、そのラインの輪郭は次第に具体化されて浮かび上がり、仕事の組み立て方や、物事のはこび方の違いによるものであることが、わかってくるはずです。

物語を紡ぐ町ー 『箱庭図書館』乙一

いつもと同じ風景。

窓際のカーテンが木漏れ日に揺れ、とおくで子どもの声が幾重にもこだまする、おだやかな午後。


ふと、頭上から水滴が落ちてきた。

ぴちゃっ、という音と冷たい感触は不快だけれど、きっとただの雨漏りだろう。

 

それとも、天井裏になにか隠れてでもいるのだろうか。

 

――きょうは、なにかが、おかしい。

 


風にふくらむカーテンは、春の陽気にひるがえる少女のワンピースのようで、

すこしの間まぶたを閉じれば、たちまちまどろみの午後に溶けていきそうだ。

 

それでも私は天井裏が気になってしまい、眠りに落ちることができない。

等間隔で落ちてくる水滴のぴちゃっという音が、次第に大きくなって私の鼓膜を響かせている。

 

* * * * * * * * *

 

小説を読みながら、頭の中に景色が広がることがあります。

その物語に出てくる場所というわけではなく、物語を読むことで、どこからともなく浮かび上がってくる心象風景。

 

この小説『箱庭図書館』を読みながら、私はいつのまにかある部屋の中にいました。

春の日の美しい午後。

とても心地良いはずなのに、天井から落下する水滴の冷たさが、肌にはりついてはがれないのです。

 

この小説は、6つのストーリーが収録された短編集です。

「物語を紡ぐ町」がキャッチコピーの架空の町・文善寺町を舞台に、そこに住む人々が紡ぐ、それぞれの物語がつづられています。

 

粉雪の降る中で、寒さも忘れて読書に熱中してしまう文学少女

部室以外では決してすれ違うことのない、美人で口の悪い先輩。

道端で拾った鍵に合う鍵穴を、日が暮れるまで探し求める優等生。

 

物語全体にただようやわらかな雰囲気のなかで、

見て見ぬふりをすれば風化してしまうような些細ないびつさを拾い集めながら、先へ進んでいく。

その体験をミステリーと呼ぶかファンタジーと呼ぶのか、あるいはホラーと呼ぶべきか、この短編集を前に既存のカテゴリーはあまり重要ではなくなってしまうような気がします。

 

「物語を紡ぐ町」に一度足を踏み入れれば、もう引き返すことはできません。

 

この物語を読んだひとだけがみることができる景色が、そこには広がっているのです。

 

 

生涯で最も美しい決断ー 『海賊と呼ばれた男 下』百田尚樹

 

 

※『海賊と呼ばれた男 上巻』の感想はこちら

男は、信念を貫いたー『海賊と呼ばれた男 上』百田尚樹 - おとなの読書感想文

 

四面楚歌。

 

敗戦から2年、国岡商店を待ち受けていたのは、まさにそう称するべき苦境でした。

 

当時、「七人の魔女」と呼ばれ業界から恐れられた、7つの石油会社がありました。

それらはすべて欧米列強の会社であり、圧倒的なシェアを盾に石油業界を牛耳っていました。

敗戦国である日本の石油会社は「七人の魔女」に業務提携を迫られ、たちどころに経営権の大部分を彼らに受け渡していきました。

 

そんな中、頑として「民族経営」を貫いた会社がありました。

 

国岡商店。

 

日本の石油産業を外国に牛耳られまいと、闘うことを決めた唯一の会社でした。

「石油産業を支配されるということは、日本の経済を支配されるということである」と訴え続けた国岡は、欧米を中心とした国際石油カルテル、そしてそれらのカルテルと提携を結んだ日本の石油会社の、目の敵となっていきました。

 

 

そんな国岡商店には、ある極秘計画がありました。

それは、「イランの石油を購入する」こと。

当時イランは有数の産油国でありながら、その石油はイギリスの占有下にあり、石油の恩恵はほとんどイギリスに搾取されていました。そのためイランから直接石油を購入することは、イランの石油をほしいままにしていた大英帝国の逆鱗に触れる可能性があったのです。

世界はイランがイギリスに搾取されていることを知りながら、見て見ぬふりをしていました。国岡商店は、この状況に一本の矢を放たんと、綿密に計画を進めていたのです。

 

その矢は、搾取による貧困に喘ぐイラン国民への救済であり、同時に、国際石油カルテルという巨大な壁を打破する唯一の策でした。

四面楚歌の国岡商店にとって、背水の陣で挑む闘いが始まったのですーー。

 

 

闘いは、想像を絶する苦難の連続でした。

 

鐵造は、ときに敵の裏をかき、ときに死を覚悟し、

絶体絶命の土俵際を闘い続けました。

 

日本の石油産業を守る。

そんな彼の信念が、どれほど強固なものであったか。

 

彼は闘いのさなか、とある決断をくだすことになりますが、

彼の信念と覚悟に裏打ちされたその決断がくだされたとき、私は鳥肌が立ちました。

その瞬間のことは、重役である東雲の目線でこのように描かれています。

東雲は今、国岡鐵造という一代の傑物の、生涯で最も美しい決断の瞬間を見た、と思った。

 

 

四面楚歌からの逆転に挑む国岡鐵造。

日本のために闘った1人の男の物語です。

男は、信念を貫いたー『海賊と呼ばれた男 上』百田尚樹

明治34年。
当時の日本では、石炭が主なエネルギー源でした。炭鉱は隆盛をきわめ、石炭は黒いダイヤモンドと呼ばれるほどに、日本の経済を支えていました。

そんな時代にただひとり、石油の将来性に目をつけた若者がいました。
国岡鐵造。
出光興産の創業者、出光佐三をモデルに描かれた人物です。

鐡造が神戸高等商業学校(現・神戸大学経済学部)を卒業したその年、彼は191頁にもおよぶ卒業論文の中で、石炭はあと51年で尽きること、そして石油の時代が到来することを断言しました。
奇しくもこの論文からちょうど51年後に三井三池論争が勃発、次第に石炭が斜陽産業となっていく日本の未来を、予見していたかのようでした。


「人生の転機」という言葉があります。
「機」という文字は、機会・機運・時機など、めぐり合わせやチャンスといった意味合いを含み、
私は「人生の転機」についてもしかり、突然降ってきた運命的な出会いや出来事が、人生を変えるきっかけとなること、というイメージを持っていました。

鐵造の人生にも、いくつもの転機がありました。
日本が戦争に突入していく激動の時代を生きた、気概ある男たちとの出会い。彼らの勇気ある行動により、自らの事業を、そして石油とともに生きたその人生を転換させていくのです。

しかし彼は、偶然にも素晴らしい出会いに恵まれて成功した、というわけではなかったのだと思います。
彼が信念を貫き行動する姿が、彼の周囲の人間を変え、動かしたのです。ある意味で、彼に訪れた人生の転機は必然的なものでした。
石油事業を行うには当然一人の力では不可能であり、汗水たらして懸命に働く社員はもちろん、銀行や保険会社、海運業者、そして石油を必要とする客先等多数の人間を巻き込んでいくことになるのですが、
政府やGHQによる厳しい石油統制の時代、多くの石油会社が体制に迎合していく中で、ただ一人信念を貫かんと闘う男に賛意を表することが、どれだけ勇気のいることだったでしょうか。
それでも国岡鐵造という男に動かされ、危険を顧みない選択をした勇気ある人々に支えられ、彼は日本、ひいては世界を驚嘆させる経営者へとなっていくのですーー。


「馘首(かくしゅ)はならん!」

敗戦直後、瓦礫の街と化した東京。
辛うじて空襲を免れた国岡商店で、店主・国岡鐵造の怒号が飛びます。
国内の企業が経営再建に向けた経費削減の流れでこぞってリストラを進める中、ひとりの店員も首にしないというのです。
これは、「黄金の奴隷たる勿れ」「社員は家族である」という、鐵造が生涯大切にした経営理念を体現した決断でした。

敗戦から2日後、鐵造は家族であるすべての社員に向け、「日本は必ず立ち上がる。世界は再び日本に驚倒するであろう」と、気迫に満ちた言葉を語り掛けますが、
その言葉が現実のものとなる日のことを、そしてそれまでの道のりがどれほど険しいものとなるのかを、このとき鐵造はまだ知る由もありません。

敗戦国の小さな石油会社が、世界を相手にどのような闘いに挑むのか。
下巻に続きます。

かなしくて、すがすがしいー『落下する夕方』江國香織

 

幼いころ、住宅展示場でもらった風船を不意に手放してしまった瞬間を、よく覚えています。

細い紐が、ちいさな手の中をすり抜けていく。

「ああ、手放してしまう」と、頭のどこかでわかっていたような気がするのだけれど
ひらきかけた手のひらを閉じることもできず

涙があふれてくるのだけれど
スローモーションのように飛んでいく風船は、夏の空に映えて美しく

かなしみとすがすがしさが背中合わせであるということを、はじめて知った瞬間だったような気がします。


「引っ越そうと思う」
8年間付き合った恋人(健吾)が、主人公である梨果に別れを告げるところから、物語ははじまります。

別れの原因は、華子というひとりの女性。
華奢で美しく、子どものように無邪気で狡猾。健吾はこの女性とたった一度出会っただけで、8年間ともに過ごした梨香との別れを決意するほどに、魅了されてしまうのです。

そんな華子が、あろうことか梨果の家に転がり込んできてしまいます。
新聞紙にくるまって梨香の帰りを待つ華子。
まるで天気の話でもするかのように「健吾さんと寝たわ」という華子に、心臓を握り潰されたように傷つく梨香。
それでもときには、くちびるをひからせながら天ぷらを食べる(小食なのでほとんど残してしまうのだけれど)華子をいとおしく感じたり、
突然旅行に出ていってしまう華子に狼狽させられたり……。

大好きだった健吾が、大好きになった華子との共同生活を、梨香は泣き叫ぶでもなく、誰かを責めるわけでもなく、ただただ受け入れていくのです。
まるで、手放した風船が飛んでいく空を、立ち尽くして見上げるこどものように。

これは、ひとりの女性が愛する男性をうしなってゆく物語です。
「引っ越そうと思う」と告げられたあの日から、15か月という時間をかけて。


梨香と健吾を振り回しながら、いつしか2人を結ぶ唯一の存在となっていた華子は、15か月後に思わぬかたちで姿を消してしまうのです――

 

----------------------
江國香織の描くかなしみは、どんなに手を伸ばしても届くことのない澄み切った青空のように、
途方に暮れるほど残酷で、美しいといつも感じます。

 

最後に、江國香織の詩集「すみれの花の砂糖づけ」から、こんな詩を紹介します。

 

「私をうしないたくない と/ あなたはいうけれど/ 私をうしなえるのは/ あなただけよ

遠くにいかないでほしい と/ あなたはいうけれど/ 私を遠くにやれるのは/ あなただけよ
びっくりしちゃうな/ もしかしてあなた/ 私をうしないかけてるの?」

 


誰かをうしなうということ。

その事実を受け入れるということ。

江國香織の紡ぐかなしみが、沁みわたっていく物語です。

幸せになるためにたいせつな4つのこと- 『四つ話のクローバー』水野敬也

 

東京でリストラに遭い、田舎に帰ってきたものの、行き場をなくした主人公。

こんな小さな田舎町で自殺なんてしたら、家族は外を歩くたび後ろ指を指されることになる。戻ってきたばかりのころは心療内科に通っていたけれど、すぐに行くのを辞めてしまった……。

そんな主人公が、偶然お金持ちの幼馴染と再会するところから物語ははじまります。

それは幼馴染の祖父がつくった、4つの物語。

 

1. 深沢会長の秘密

「『人間は何かを我慢することはできない』。私たち生物は、嫌なことからは逃げて、気持ち良いことに向かうようにプログラミングされている。私たちは、『したいことしかできない』のだ」

これは、筆者である水野氏が、自身のさまざまな著書の中でも繰り返し主張していることです。そして同時に、成功には痛みを伴うということも主張している。

成功するために努力は欠かせないけれど、我慢をして苦しいことをするのは人間の本能に背いていて、そのために多くのひとは努力を続けることができない、というわけです。

それはまるで絶望的なジレンマのようで、思わずこう聞きたくなってしまうのです。「だったらどうすればいいの?」と。

 

過去の偉人たちも実践してきた、そのジレンマを乗り越える方法を、ユーモアたっぷりに教えてくれる物語です。

 

2. ハッピーコロシアム 

スクランブル交差点で何人ものひとが振り返るような美人にも、実は鏡をみてため息をついてしまうようなコンプレックスがあって、整形手術をするためにお金を貯めていたりする。

友人からそんな話をきくたびに、ひとは決して満足しない生き物なのだろうかと、すこし絶望してしまうことがあります。

 

この物語は、大金持ちの実業家と、質素な名もなき男性が、「幸福度指数」を競うストーリー。

飽くなき欲望に突き動かされる実業家、そしてたった1本のししゃもにも心からの感謝と満足を得る男性。勝負のゆくえは、予想もしない方向に進んでいきます。

 

「 幸せ」の定義に正解がないことは、みんな薄々気づいているのです。そんなことはわかっていながら、私たちの多くは、その答えをずっと模索したままです。

そんな私たちよりも先に、それぞれの「幸せ」の定義にたどり着いた2人の戦いの物語。

 

3. 見えない学校

「『電車に乗る人には見えてないけど、みんなのことを考えてる人には見える景色』ってなーんだ?」

私はベッドで本を読みながら、この章にでてくる問題の答えを考えていました。

毎朝乗る電車のホームを想像し、普段見落としている景色はないだろうかと、目を閉じ集中して考えていました。

 

けれどこの物語を最後まで読めば、私がどれだけ必死に考えたところで答えにたどり着くことはできないのだ、と、気づくのです。

 

この物語のテーマは、「共感と行動」です。

どれだけ相手の立場や感情に共感することができるか、そして、行動に移すことができるか。仕事や人間関係で悩んだときこそ、「共感と行動」が大切であると、語られています。

ベッドでいくら考えても、それは行動を欠いているから、いつまでたっても答えにたどり着くことができない。この問題の答えを知ったとき、そのことに気づかされるはずです。

 

4. 氷の親子

「さあ、お行きなさい。命が終わるその瞬間まで、全力で生きなさい。」

私たちの人生は、有限であるということ。

いつか親孝行をしようとか、いつか成功して充実した毎日を送りたいとか、

漠然と将来を想像しているあいだにも、それらを実現するために残された時間は、刻々と削られているということ。

忘れてしまいがちだけれど、どんな生き方をしていたって、時間は平等に過ぎていくのです。

 

嫌な上司や、退屈な仕事。自分を取り巻く環境が、人生に暗い影を落とすこともある。

それでも、生きるということが本当はどれほど魅力的なことなのか、ある親子の物語をとおして、学ぶことができます。

刻一刻と命が削られているとしたら。いつかやりたいと思っていたことをいくつも抱えたまま、タイムリミットを迎えてしまったら。

生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれる物語です。

 

----------

 

4つの物語を聞いた主人公が、その後どんなふうになっていくのか。この本にはいっさい描かれていません。

それはまるで「この本を読んだひとりひとりが、一番その答えを知っているはずだ」という筆者からのメッセージのようにも思えてなりません。